帰省から復帰

帰ってきました。

まぁ、親戚廻りして終了。夜はずっと迷宮にもぐってましたが。。。(苦笑)

でもって、とりあえず今回の収穫。

前から話には聞いてたけど、母方の祖母が予想以上に素敵な経歴していたので、メモ的に。
仕事の話してて、いまは新宿近辺で働いてるよっていったら、「私も省線つかって仕事してたのよ」と話してくれた。

  • 帝国陸軍 人事部恩賞課 タイピスト
  • 東京府立第五高等女学校卒業 (現在の東京都立富士高等学校)
  • 恩賞課づきのタイピストは4人。終戦時には3人で、祖母が筆頭だったらしい。*1
  • タイピストが作成した文書は軍人さんに渡し、紅白の紐をつけて、一週間煮沸*2した後、天皇陛下に奏上。緊急性の無い文書って、他の部署でもこうしてたのだろうな。
  • 「飛行機で被弾して、自身もケガしてるんだけど、「燃料入ったまんまで人のいるところに落ちちゃならねぇ」、っていって、湖にまで飛んで落ちた人とかを報告してた」
    • ちょwwwwwそれ、泣けるけど二階級特進wwwwwww
  • 食券(=確実にメシが喰える紙)をめぐる恩義。
  • 陸軍に登用されるときのおはなし。
    • 陸軍内では、男女の同伴は禁止されている。
    • 最初に陸軍省内を案内されるときには憲兵さん*3に案内されたらしいのだけれど、そのときでも、「1メーター離れて歩いてください」って言われた。
    • 「いやいや、この娘さんは初めてここに来るんじゃ、離れて歩いたら分らなくなってしまうだろう」「いやいやいや、決まりなのです。1メーター離れて歩いてください」
  • 南京虫のお話。
  • 職場の同僚の親族(?)が帝国ホテルに勤めていたらしく、羊羹をひとかけ食べれたこともある。
    • 「ホテルからいただいたお肉をね、火鉢で焼いていたのよ。そうしたら将校さんが、「いーい匂いするなーぁ」って(笑)」
  • 3月10日。
    • 焼け野原。目印がみんな無くなった焼け野原。そして、木目よりやや濃い色に焼けた人の形。
    • 省線が使えなくなったので、徒歩で出勤。東京医科大の近くを、人を焼く臭いにむせながら。
    • 300人が逃げ込み、そして全員が亡くなった防空壕。即席の地蔵様が弔う。
  • 終戦
    • 泣きながら、山のような書類を焼いた
    • 東条英機より、手渡しで恩給を賜る。「ご苦労さまでした」と。
    • 「1000円もらったと思って短歌に書いたのだけれど、「そんなにもろたのアンタだけやわぁ」って、同僚に言われたわ」
    • たぶんもらったのは10円か100円かだとおもう、とのこと(笑)。
    • 西郷隆盛の孫(?)の将校さんが、「ワシはなんで恩給もらえんのじゃ」と。
    • 「アンタは弾のあたるところに行ってないのだもの、当然でしょ」とて、たしなめられたらしい(笑)

当時に詠んだ短歌集があるらしいけれど、原稿を人に預けたまま返ってこないらしい。
大学ノートに書いてもらった、当時の同僚と将校さんたちの直筆の言葉も、人に預けたままらしい。

ヒトラー ~最期の12日間~ スペシャル・エディション [DVD]
で、なんかこの状況、どこかで。。。と思ったら、この映画。

いま世間に出回ってるFlashとか祖母に見せたら、鼻で笑われるのかもしれず。

*1:もともと筆頭だった人は疎開を兼ねて、長野連隊づけになったそうな

*2:っていってた。「いまでは滅菌してお渡しするのでしょうけれどね」っていってた

*3:うろ覚え